国東半島の旅、2日目は別府温泉で旅の疲れを癒し、3日目再び一路国東半島へ
見残したところを時間の許す限り見て廻ろうと快晴に恵まれた空の下車を走らせる
夷谷 (香々地町) そそり立つ奇岩、怪石は耶馬溪さながら 夷耶馬とも云われる 2004/3/29
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千灯寺跡
千灯寺跡 (国見町)
寺は跡形もないが立派な仁王が残っていると聞き訪ねた
山全体が県の指定史跡になっている -
千灯寺跡
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千灯寺跡
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千灯寺跡
千灯寺跡 西行戻し宝篋印塔
西行法師が千灯寺を訪れた時、小僧の問答に驚き自分の修行が足りないと引き返したと言う逸話がある これが「西行戻し」というが宝篋印塔との関係はわかりません どなたか教えてください m(__)m -
千灯寺跡
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千灯寺跡
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千灯寺跡の仁王像
厚肉彫りの仁王だけが往時を偲ぶ礎石を守るように立っていました
こころなしか淋しげな表情に思われます -
石風呂
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千灯寺跡
山を降りる時目にとまった風物
大分県はどんこ椎茸の本場 あちらこちら椎茸栽培が盛ん -
千灯寺跡
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両子寺
両子寺(ふたごじ)
国東半島の最高峰、両子山(721m)の中腹に位置する。 養老2(718)仁聞菩薩により開創された古刹で平安から鎌倉にかけて六郷満山の修行道場として栄えた -
両子寺
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両子寺
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両子寺 護摩堂
御本尊は不動明王 身の丈114センチの木像 頭上を飛ぶカルラ
かっと見開いた両眼に迫力を感じる -
両子寺
両子寺 護摩堂
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両子寺
護摩堂
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両子寺
両子寺 奥の院へ
参道入口の仁王像は足が短くてかわいい!
奥の院に両子寺の本尊の十一面千手観音が安置され脇侍として寺名の通り双子の天童子が祀られている。また子授けの寺としても名を広めている -
両子寺
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両子寺
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天念寺
天念寺 (豊後高田市長岩屋)
養老3年(719) 仁聞菩薩の開創と伝えられる古刹で堂宇は天念寺耶馬と呼ばれる
奇岩の連なりを背に建っている。 -
天念寺
山の頂きに架けてある無明橋、下は谷底、さすが修験の山です {{{{(+_+)}}}}ううぅ~
天念寺修正鬼会といって毎年旧暦正月7日に修正会と鬼の火祭りが行われる -
川中不動尊
天念寺前の川の中の大岩に不動三尊が彫付けてある。不動明王は高さ3.23m、右手に剣、左手に拳索を持っている。 矜羯羅童子(こんがらどうじ)は2.05m、合掌の形をとる。 制叱迦童子(せいたかどうじ)は1.73m右手にこん棒を持っている
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川中不動尊
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川中不動尊
さして大きな磨崖仏ではないが天念寺付近の風景にとけ込んだ風情に感動をおぼえた場所の一つでした。 他の磨崖仏より比較的近世の作と伝えられる
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応暦寺
応暦寺 (真玉町大岩屋)
養老2(718) 仁聞菩薩の開創になる古刹で天台宗に属する。この寺には磨崖仏をはじめ、石仏、石造品が多く石仏の里、石仏の寺として知られる
山門で迎えてくれた仁王さんは少しお年を召されているようでした (「^^)どれどれ.. -
応暦寺
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応暦寺
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応暦寺
応暦寺 地蔵堂
地蔵堂を守るのは中肉彫りの傑作と言われる仁王さん ユーモラスな姿に旅の疲れも癒されます -
応暦寺
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応暦寺
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応暦寺の石造品
隠れ切支丹五輪塔 五輪の形は崩れているが塔身に十字が刻まれている
下の宝篋印塔は南北朝時代のもの この他聖徳太子の龕仏、役行者像等々 -
応暦寺の石造品
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堂の迫磨崖仏
堂の迫磨崖仏 (室町時代)
応暦寺奥の院への急な坂を登る途中の右手、崖の上に磨崖仏刻まれている
縦80cm、横506cm、切込み20cmのなかに16体が陽刻されている
うっかりすると見落としてしまいますよ (゜゜)(。。)(゜゜)(。。) -
堂の迫磨崖仏
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姫島
『古事記』『万葉集』にもゆかりのある島で国見町の伊美港からフェリーで渡れる
イザナキ、イザナミの神が「島々の生成」の中で出来た「女島(ひめしま)」と言われている -
姫島
万葉集 巻2-228には河辺宮人の作った歌として
妹が名は 千代に流れむ 姫島の 小松が末に 苔むすまでに
があるが2種目の歌との兼ね合いで姫島「摂津説」との論議がある
いずれにしても国東半島めぐりの旅の締めくくりにふさわしい姫島の遠望でした