奈良編>吉野山

歌書よりも軍書に悲し吉野山

芭蕉の門弟、支考(美濃出身の俳人)の句は余りにも有名である。桜の名所としてしばしば和歌に詠まれているが、歌に詠まれた哀れは十分わかっていても軍書(太平記)に書かれた戦乱の哀れさはもっと悲しいとの意。 花の吉野に散った若者たちの姿が偲ばれる吉野は古来より山岳信仰の場として崇められていましたが、奈良時代の初め、役行者が金峯山に修験の霊場を開き、その後理源大師が蔵王堂を開いたとされます。 以来吉野山は日本の修験道のメッカとして隆盛をきわめてきました。
  (2002/7/13 ・ 2004/8/25)