シルクロード~敦煌 Part1


ロマンチック街道をゆっくり行く 敦煌・トルファン・ウルムチ 8日間の旅

2004年10月16日、関西空港から北京、蘭州を経由して 憧れのシルクロードの旅の中心地敦煌についたのは17日の夕方でした。
シルクロードは大きく三つのルートがあり、私たちは天山北路を敦煌からトルファン、ウルムチへ7泊8日のゆっくりとした旅を楽しみました。
祁連山脈(きれんさんみゃく)の雪解け水がオアシスとなったこの地、「敦煌」とは漢の武帝が名付けたといわれ「大きく盛んなる」という意味で西域への関所として物資の流通、軍事拠点として古くからから繁栄してきた交通の要衝として歴史的に多くの文化遺産が残されている。

蘭 州

経由地蘭州では残念ながら飛行場の近辺だけの散策でしたが、目前まで黄土高原が迫り、シルクロードへの旅の気分が高まってきました。
飛行場の前に「銅奔馬」(とうほんば)とよばれる白馬の像があり、旅遊局シンボルだそうですが右後ろ足でつばめを踏んでいます。
何故か分りません? どなたか教えてください m(__)m


敦 煌 到 着

長い道のりでした。17日の夕方敦煌(沙州)に着いた私たち、市内の太陽大酒店に1泊、あくる日からのシルクロードの旅に心躍らせる夜でした。
敦煌は広さ約3万平方キロ、この内オアシスはわずか4%、残りは砂漠地帯です。人口は約18万人(内、市内4万人)でその多くは漢民族とか

鳴 沙 山

敦煌市街の南5km程のところにあり、高さ50~60m、東西約40km、南北20kmに渡る砂丘。名前の由来は砂が落下する時
砂と砂が擦り合わさって音を発することによる。 敦煌のシンボルのひとつで麓から頂へ波を描くような稜線が大変美しい。
この鳴沙山の東麓の壁面に全長2キロ近くに及ぶ中国最大の石窟遺跡、1997年世界文化遺産に指定された莫高窟がある。


莫 高 窟

敦煌市の南東25km程の鳴沙山東麓にあり、千仏洞ともいう上下五層に渡り掘られた石窟群。
長さは約1、8Kmに及ぶ。現存する石窟は492窟、大小さまざまの窟の内部は彩色豊かな壁画と菩薩、如来、釈迦像などの塑像などで飾られている。
起源は366年、五胡十六国時代に遡り、その後 元代にいたる1000年にわたり掘りつづけられた。
1900年の初め偶然に第16窟(現在17窟)の中に新たな窟が見つかり5万点にも及ぶ経典類が発見されたことにより、およそ900年もの間封印されていたことが分り莫高窟の名を全世界に知らしめることになった。
この史実をテーマに井上靖は歴史ロマン『敦煌』を書き著した。

内部見学の際は厳しくチェックされごく小さいポシェット以外は持ち込み禁止! 見学も莫高窟専属のガイドに着いて約2時間程度
私たちが見学できたのは 328、16(17)、26、46、94、96、130、158、と有料特別窟の57 でした。 すばらしい壁画と彫像に時間はあっという間に過ぎてしまいました。 
第96窟、莫高窟のシンボル九層楼(写真右)の中には高さ35・5mの弥勒仏の塑像が祀られている。








西晋時代の墓

紀元前216~316の西晋時代の墓が大小あわせて一万基余り散在する。 見学できるのは2窟、内部は10mほどの高さがあり、天井、壁に彩色壁画が描かれ大変立派なもので身分の高い夫婦の合葬墓だった。埋葬品は敦煌市博物館に保存、展示されている。

敦煌市博物館(市内中心部)

入口に実物大と思われる三身一体のラクダがおかれてあり、ラクダはシルクロードの文化交流の象徴で唐時代の墓から出土したといわれる。西晋時代の墓から発掘された数々の遺品、莫高窟の第16窟(17窟)から発見された経典、古文書類の一部が展示されているので見逃せない。見学の後、博物館で高級な飾り棚や玉製品、カーペットまで商売するのには驚きました。
日本の博物館では考えられないことです。

鳴 沙 山 と月 牙 泉

今回の旅の楽しみのひとつに「ラクダの乗って鳴沙山を行く」があり、どうぞ晴れますようにと願っていました。 バッチリの快晴 (●⌒∇⌒●) わ-い
鳴沙山は太陽の光と影の美しさがなんとも情緒がありすばらしい! その裾野を月牙泉まで往復ラクダに揺られます。「あ~らくだ」とは云えませんが初めて乗った気分は上々!「月の砂漠」を思わずハミング、ノスタルジックな思いを満喫しました。 サンドスキーも楽しめます。


月 牙 泉

鳴沙山に囲まれるように湧く三日月型の池、月牙は三日月のこと、古くは沙井(させい)とよばれ長さ約200m、幅約50m深さは5mぐらいの池
1000年以上もの間 枯れたことがないが 最近水位が下がっているそうです。 楼閣は文化革命のときに移築、復元されたものとのこと。