シルクロード>敦煌 Part2

ゴビ砂漠に漢代の遺跡を訪ねる

夕べは太陽大酒店に連泊、昨日の興奮覚めやらぬ敦煌滞在2日目、少し雲は出ているもののまずまずの天気、気温は低め、ゴビ砂漠を敦煌の郊外へバスでひたすら走り、漢の長城、  玉門関、陽関などシルクロードの関所址を訪ねました。
ゴビとは砂利と泥の混在した平原のことでゴビ灘ともいう。砂漠というが鳴沙山の美しい砂とは似ても似つかない荒れた平原。
玉門関から陽関に向かう一面のゴビ砂漠の中、波がひたひたと漂う湖水とその向うに建物の並ぶ蜃気楼を見ることが出来ました。
昔の旅人はこれをオアシスと思い行けども行けども見つからない水場を求めて歩いたことでしょう。天候によってよく見られるそうです。

玉 門 関

敦煌市の北西、約100Kmのところにある紀元前2世紀頃の漢王朝に作られた関所址、一辺が約26m、高さ10mの正方形の門
西域南路の北の入口でホータンで採取された玉石はこの関所を通り運ばれたことから「玉門」と名付けられた。

 

漢の長城

西域からの攻撃に備え、漢代に造られた長城跡址。玉門関の西方から疎勒河の南岸に沿って、約150kmにおよぶ。崩れたり、分断されている
個所も多いがこの周辺は烽火台も残っていて比較的に保存状態が良い。 長城は北京市の万里の長城からここ漢の長城まで約12000km
北京の万里の長城は約半分の6000kmに及ぶそうです。 中国の大きさ、広さを痛感いたしました。

 

陽  関

敦煌市の南西約70キロにあり、玉門関の南に位置するので陽関と名付けられた。前漢時代に設置された関所址でホータンへ至る玄関口となる。
電気自動車に乗って烽火台近くまで行く (烽火台は修復中)  烽火を「狼煙」とも書くのは火薬に狼の糞を混ぜて作ったことによる。こうすると風があっても狼煙はまっすぐに上空に昇り遠くから見えるとのことでした。 ひとつ賢くなりました ♪ d(⌒o⌒)b♪

眼前には果てしないゴビの平原が広がり、学生時代に暗誦させられた唐の詩人王維の漢詩の意味をやっと理解できたように思われました。


渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう) 軽塵(けいじん)を潤す
客舎青青(きゃくしゃせいせい) 柳色(りゅうしょく)新たなり
君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒
西の方 陽関を出づれば 故人無からむ


昔の旅は死と隣り合わせ 遥か辺境の地へ使者として出発する親友を友人たちと渭城の町まで送って行き、一晩宿舎で壮行会でも開いたのでしょう 。翌朝別れの杯を交わすところの情景を詠んでいる。


関所の役目(玉門関、陽関とも同じ)

 1、通行人の守護
 2、関帖(パスポート)の検覧
 3、税の徴収
 4、蚕の繭玉の流出を防ぐ

シルクは貴重品だった。シルク1kgと金2kgが同じ価値があったので繭玉を隠し持っていた者は本人はもとより同行者も死刑に処せられた。

敦 煌 故 城

1987年、井上靖原作 『敦煌』の日中合作による映画化のために作られた1万㎡の広さの実物大セット、一時は取り壊し計画もあったが
その後、映画のロケ地となったり観光のため訪れる人が多いため、現在修復しながらテーマパークのようになっている。背景に鳴沙山を取り入れ最高のロケーションになっている。 物語『敦煌』は莫高窟第16窟から発見された900年前の経典、古文書類5万点近くがどういう理由で洞窟に隠されたのかをテーマに実在した人物と創作された人物を絡み合わせた中国歴史ものがたり。

夜光杯の店

唐の詩人、王翰(687~726)が「涼州詞」の中に詠んだ 「葡萄の美酒 夜光の杯 飲まむと欲すれば 琵琶 馬上に催す……」の夜光杯とは?
祁連(きれん)山脈近くで取れる水晶の一種の墨玉石を磨き削って作った器。大変、硬質なのでカッタ―の先はダイヤモンドだそうです。
戦いに行く時、馬上で別れの杯を交わし、飲み干したのち捨てることが儀式だった。今思えば一つ買ってきたらよかったとケチったことに反省 \(__ )

バザール 沙州市場

敦煌市内にある大きな市場、昼は野菜、その他の食品、生活雑貨などの市民の生活を支える台所、夜は勤め帰りの人が集まる社交の場として賑わう。