シルクロード>敦煌 Part2
ゴビ砂漠に漢代の遺跡を訪ねる
夕べは太陽大酒店に連泊、昨日の興奮覚めやらぬ敦煌滞在2日目、少し雲は出ているもののまずまずの天気、気温は低め、ゴビ砂漠を敦煌の郊外へバスでひたすら走り、漢の長城、
玉門関、陽関などシルクロードの関所址を訪ねました。
ゴビとは砂利と泥の混在した平原のことでゴビ灘ともいう。砂漠というが鳴沙山の美しい砂とは似ても似つかない荒れた平原。
玉門関から陽関に向かう一面のゴビ砂漠の中、波がひたひたと漂う湖水とその向うに建物の並ぶ蜃気楼を見ることが出来ました。
昔の旅人はこれをオアシスと思い行けども行けども見つからない水場を求めて歩いたことでしょう。天候によってよく見られるそうです。
玉 門 関
敦煌市の北西、約100Kmのところにある紀元前2世紀頃の漢王朝に作られた関所址、一辺が約26m、高さ10mの正方形の門
西域南路の北の入口でホータンで採取された玉石はこの関所を通り運ばれたことから「玉門」と名付けられた。
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高台に登ると玉門関の北側を流れる疎勒河(そろくがわ)を望むことができる。またゴビの平原は360度の地平線を描き延々と続いている。
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西暦627年、玄奘三蔵が国禁を犯し天竺へ求法の旅に出るとき、玉門関付近を迂回したと思われるが、唐代の玉門関はもう少し東にあったのでこの漢の玉門関とは違うそうです。 (現地ガイドの郭さんのおはなし)
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唐の詩人 王之渙(おうしかん)が「涼州詞」に玉門関を「一片の孤城」として詠っている。
また同時代の詩人 王翰(おうかん)も「涼州詞」に有名な漢詩がある。(写真)
葡萄の美酒 夜光の杯
飲まむと欲すれば 琵琶馬上にうながす
酔ふて沙場に臥すとも 君笑ふなかれ
古来 往戦 幾人か回る(かえる)
漢の長城
西域からの攻撃に備え、漢代に造られた長城跡址。玉門関の西方から疎勒河の南岸に沿って、約150kmにおよぶ。崩れたり、分断されている
個所も多いがこの周辺は烽火台も残っていて比較的に保存状態が良い。 長城は北京市の万里の長城からここ漢の長城まで約12000km
北京の万里の長城は約半分の6000kmに及ぶそうです。 中国の大きさ、広さを痛感いたしました。
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長城の築造方法
左写真の右端に立っているのが烽火台
5cm程の葦を重ねた層の上に麻と砂土を混ぜたものを10cm程重ね、それを繰り返し築いていく。
永年の風雪にも耐えこうして残っているのは昔の人の知恵と汗の結晶、ただ、ただ感心!
陽 関
敦煌市の南西約70キロにあり、玉門関の南に位置するので陽関と名付けられた。前漢時代に設置された関所址でホータンへ至る玄関口となる。
電気自動車に乗って烽火台近くまで行く (烽火台は修復中) 烽火を「狼煙」とも書くのは火薬に狼の糞を混ぜて作ったことによる。こうすると風があっても狼煙はまっすぐに上空に昇り遠くから見えるとのことでした。 ひとつ賢くなりました ♪
d(⌒o⌒)b♪
眼前には果てしないゴビの平原が広がり、学生時代に暗誦させられた唐の詩人王維の漢詩の意味をやっと理解できたように思われました。
渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう) 軽塵(けいじん)を潤す
客舎青青(きゃくしゃせいせい) 柳色(りゅうしょく)新たなり
君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒
西の方 陽関を出づれば 故人無からむ