シルクロード>トルファン Part2
火焔山の麓に中国古代の歴史遺跡を訪ねて
10月21日(木)、トルファンでの2日目、朝 8:30 エリカムさんのガイドでホテルを出発。 快晴でぬけるよううな青空のもと平山郁夫画伯の絵で有名な高昌故城を目指す。 画伯はシルクロードを玄奘三蔵の求法の旅とご自身を重ねて旅をされ奈良薬師寺の東院堂(玄奘三蔵堂)の壁画を完成された。
その舞台となった所を実際に見られる嬉しさに ((o(^-^)o))わくわく
高 昌 故 城
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市街地から南東40kmのゴビの中、総面積が2平方kmに及ぶ高昌国の城址がある。漢の時代に軍事用の要塞が築かれたのが始り、その後 麹氏(きくし)高昌国の王都となったが唐に滅ぼされる。 9世紀にウイグル人によって再び都が置かれたが、13世紀モンゴルに滅ぼされる。 玄奘三蔵が天竺への旅の途中一ヶ月滞在し仏教の講義をした寺院も残っている。
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昌壁と呼ばれる城壁が寸断されてはいるがかなり残っている。 ゴビ灘の中なので風と埃が強くガイドさんからマスクをかけるように指示があった。入口から寺院址までの往復はロバ車を利用、 「ローバ、ガンバレ! ローバ、ガンバレ!」 鞭を振るう馭者のカタコトの日本語が印象的でした。
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インド(天竺)へ向かう玄奘三蔵が、国王麹文泰(きくぶんたい)の要請で一ヶ月留まり講義をした寺院
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寺院の内部
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仏塔でひとつひとつに仏が刻まれていたそうだが現在は見る影もない。 遺跡はほとんどが9世紀の遺構で粘土と日干煉瓦でできている
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遠景は火焔山 いつまでも振り返り、振り返り、心に焼き付けた高昌故城見学の旅でした ♪ d(⌒o⌒)b♪
アスターナ古墳群
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高昌故城の北にある高昌国の貴族や住民の墓でその数、約400基が点在する。入口の守護に十二支の獣頭人身が威厳をもって立っている。
公開されているのは二墓だけ、今回特別にもう一基見学を許され、高昌国の官人夫婦と思われる合葬ミイラを見学させていただきました。 -
その他唐時代の墓には「中庸思想」を教える壁画、花鳥図のある夫婦の寿陵からはトルファン文書と呼ばれる古文書が発掘されている。
火 焔 山
トルファン盆地の北側に連なる 海抜500m 長さ140km、幅10kmの山脈でトルファンのシンボルである。
赤い泥岩の山肌を縦襞が埋め尽くし太陽が当たると燃えているように見えることからこのこの名が付いた。
『西遊記』にも赤い山として孫悟空が火焔を相手に戦った舞台になっている。
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中央、左右とそれぞれが趣の違った山の形を見せてくれる火焔山、 中央のボールを伏せたような山の裾に点在して見えるのがベゼクリク千仏洞、右手の山の裾野 ムルトク川の流れに沿ってオアシスがある。 天山の雪解け水で夏は気温40度にもなるがこの川の水は枯れることがないそうだ。
べゼクリク千仏洞
火焔山山中の断崖にある仏教遺跡、ベゼクリクとはウイグル語で「装飾された家」を意味し、約1kmにわたり83の石窟が並ぶ高昌国時代の遺跡
6世紀に造られ、のち唐の支配を経てウイグル仏教の最盛期に手厚く保護されたが、イスラム教徒による破壊や、近年になってイギリスのスタイン、ドイツのル・コック、日本の大谷探検隊、など研究者によって剥ぎ取られ持ち去られた受難の跡も生々しい。 公開されているのは数窟のみ。
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私たちは17窟、20窟、27窟、31窟、39窟、33窟の6窟を見学、 宗教戦争で破壊され続けたにもかかわらずこれだけのものが残っていることに感動した
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31窟…窟の中央に涅槃像があったと思われる (涅槃経変図)
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17窟…阿弥陀西方浄土変図
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20窟…ウイグル高昌王、王妃供養像図
ウイグル王室が9世紀~10世紀に仏教に改宗、修建された石窟とのこと。