韓国古代史の旅~百済 瑞山市編
百済の歴史と文化を訪ねて (2007/4/2~6) 瑞山市 公州市 扶餘郡 益山市 ソウル市
京都新聞文化センター「古代史講座」
講師の先生とご一緒に訪ねる韓国古代史の旅 特に3C中頃から7Cにかけての朝鮮三国時代は興味深い。
高句麗(コクリョ)、百済(ペクチュ)、新羅(シルラ)の三国が鼎立した。最も早い時期に国家を形成したのは高句麗で4Cの初めには半島北部の楽浪郡を平定、5Cの初め、第19代広開土王の活躍ぶりは「広開土王碑」にも明らかである。三国は互いに領土の拡大をねらい火花を散らした。
観光では絶対に行けない町や村に遺跡を訪ね、日本のルーツを知ることは驚きと感動の連続でした。
ホームページ作成にあたり京都新聞文化センター「古代史講座」の旅行資料を参照させていただきました。
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雲山磨崖三尊仏
国宝):百済(7世紀)
忠清南道の加耶山の北端、東向きの天然の絶壁に彫られている。 -
雲山磨崖三尊仏
「百済の微笑み」と言われるほど美しい柔和なお顔立ちの磨崖仏
高さ:忠尊像2、8m 脇侍 約1、7m
隋様式。肩幅があり杏形型の目、紐の結び方などの特徴から飛鳥仏の源流とされる -
雲山磨崖三尊仏
忠尊は法衣を通肩につけ、印相は右手施無畏、左手与願で三国時代共通してみられる印相
右の脇侍菩薩像は宝珠を持った立像、左脇寺は半跏思惟像になっている。三体とも宝珠型の光背(頭光)を備えている -
徳崇山修徳寺
山門
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徳崇山修徳寺
大雄殿(国宝)
高麗時代の建物 14世紀 百済系の古い建築様式で建てられている。柱と柱の間に升組みが無い。
1308年再建の墨書銘がある。正面3間、側面3間、切妻本瓦 葺き -
徳崇山修徳寺
三層石塔 (高麗時代)建立は11世紀
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徳崇山修徳寺
青蓮堂の軒
日本では美術品と見るむきも多いが韓国の寺院は信仰の対象のため建物のほとんどが極彩色に彩られている。 -
徳崇山修徳寺
鐘楼
韓国の梵鐘は日本と違って床すれすれに吊り下げられている。 -
花田里四面石仏
花田里(ハージョンリ)四面石仏覆屋 手前は礎石
1983年3月に発見された。当時は西側に皆倒れた状態だった。 -
花田里四面石仏
蝋石系の大岩に刻まれた四面石仏、坐像1体と立像3体とも頭部と手首先は失われているが百済時代(6世紀末~7世紀初)の最も優秀な仏像彫刻。如来坐像は高さ1,2m 衣を通肩に着て、深く刻まれた衣紋が美しい。
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花田里四面石仏
立像3体のうちの1体。等身大で高さ1、66m 衣は通肩、衣紋は胸からU字型に深く刻まれている。