韓国古代史の旅~百済 ソウル編
百済の歴史と文化を訪ねて (2007/4/2~6) 瑞山市 公州市 扶餘郡 益山市 ソウル市
ソウル市内にある二つの古墳群と土城(平地にあった城跡)2ヶ所を見学した。
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石村洞古墳群
石村洞(ソクチョンドン)古墳群
百済4世紀頃の王陵と考えられる。この古墳群の特徴はその多くの墳墓が方形基壇を持つ積石塚であること。 -
石村洞古墳群
東西南北50m四方の方形基壇の積石塚が幾つも並ぶのは圧巻でした。
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石村洞古墳群
積石塚の分布は高句麗の最初の都、桓仁の渾江流域から集安の鴨緑江流域、北朝鮮の大同江
流域にかけて広範囲に分布するので高句麗の影響を受けた古墳が4世紀頃の百済地域に分布していると思われる。 -
石村洞古墳群
石村洞古墳群ではかつて66基が確認されているがその痕跡もふくめればかなりの数になる。
積石塚の集中状況は高句麗の都、集安における状況と類似する。 -
芳夷洞古墳群
芳夷洞(パンイドン)古墳群
東西300m、南北200mの丘陵の頂部及び傾斜面に3群となって分布している。 -
芳夷洞古墳群
付近は古墳群を含んだ公園として整備されジョギングを楽しむ人々の姿も見られた。
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夢村土城
夢村土城(むそんどじょう)
1988年のソウル・オリンピックの施設の建設のためこの一帯が整備され発掘調査もされた後、オリンピック公園の一角として夢村土城が復元整備されている。城壁の四隅には土壇があり望楼址と見られている。 -
夢村土城
木柵の復元
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風納土城
風納土城(ふうのうどじょう)
漢江(ハンガン)に架かる千戸大橋の南、風納洞にある。発掘の結果、防衛用の城というより一般民も住む半民半軍的なものと推定された。南北に長い長方形の土城で城壁は綺麗に整備されその上を歩くことができる。 -
風納土城
風納土城と夢村土城は同時期(3世紀頃)に対を成して造られ百済の都城体制を維持していたと思われる。 漢江を挟んで北岸の高い丘陵(阿旦山城)に高句麗の遺跡が存在することはそこから睨みを利かせていたものとも想像できる。2年後、この旅のシリーズで阿旦山城から風納土壌を遠望できるのを楽しみにしている