瀬戸内編

瀬戸内に万葉を訪ねて

一口に瀬戸内といっても兵庫県から山口県までかなり広範囲に及びます。
それで便宜上、山陽地方の各県と四国の瀬戸内海沿岸の地域とさせていただきました。
万葉人にとって大和から四国、九州への旅は大方、海路を小さな木造船に乗り潮と波の恐れに身を委ね、死と隣り合わせの毎日を不安と恐怖にかられ、また旅が長くなればなるほど家恋し、妻恋しさが募りにたくさんの歌が詠われました。
瀬戸内海には万葉故地も多くそのほとんどが筑紫や大陸派遣の官人たち、防人らの旅の歌といえます。
中でも天平8年(736)の遣新羅使人らの一行は難波津から周防灘にかけての各停泊地で多くの抒情的な歌を残している。最近は時代とともに万葉故地が姿を変えまた失われてきているのは非常に残念なことです。

  恋繁く 慰めかねて ひぐらしの 鳴く島陰に 庵するかも
                            (巻15-3620)

              新羅使の一行が長門の島(現在の広島県倉橋島)で碇泊した時に詠まれた歌です