瀬戸内編>安芸津
遣新羅使の足跡を訪ねて
広島県安芸津町 2004/11/26
風 早 の 浦
『万葉集』巻15には遣新羅使人等が別れを悲しんで贈答した歌や 海路にあって心に感じた思いを詠んだ歌などが載せられている。
一行は現在の広島県三原市辺りの長井の浦に仮泊して3首の歌を残している。(巻15-3612~3614)
次の停泊地風早の浦は豊田郡安芸津町の三津湾の静かな入り江にある。
三津湾には大芝島、小芝島、藍之島、竜王島などが点在し風光明媚なところである。
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遣新羅使の一行が通ったルート
長井の浦(現在の糸崎港)を船出して一日がかりで風早の浦に着き、船泊りしている
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三津湾
大芝大橋より三津湾を望む。風早の浦は湾の西側奥になる。
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祝詞山(のりとやま)八幡神社
JR風早駅から海岸沿いを北東にしばらく行き、左手に曲がると少し高台に神社の森が見えてくる。神社の境内には万葉故地にふさわしい万葉陶壁と万葉歌碑が立っている。
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祝詞山(のりとやま)八幡神社
この神社には19枚の棟札が所蔵され、そのうち5枚は江戸時代以前のもので安芸津町の重要文化財に指定されている。
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祝詞山(のりとやま)八幡神社
中に貞和3(1347)南北朝時代のものがある。
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万葉陶壁
遣新羅使のひとりとその妻の愛を詠んだ万葉集の歌を素材に平成2年に建てられた。大きさはたて3、6m 横5、4mかなり大きな陶壁で隅々迄細工がなされてあって素晴らしいものでした。
作者は地元の陶芸家、財満(ざいま)進氏 -
歌 碑 と万 葉 陶 壁
わが故に 妹嘆くらし 風早の 浦の沖辺に 霧たなびけり (巻15-3615)
沖つ風 いたく吹きせば 我妹子が 嘆きの霧に 飽かましものを (巻15ー3616)
天平8年(736) 遣新羅使の一行は難波の港を出て瀬戸内海を西へ西へと進み、その折々に抒情歌を多く残している。
この歌の作者は一行の誰とも分らないが、作者の妻が別れに際して夫に送った歌に対する相聞といえる。 妻の歌は
君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ (巻15-3580)
(あなたがこれから遠くへ旅立つ途中の海辺の宿で もし霧が立ったなら、あなたを恋して嘆いている私の吐息と思ってください)
風早の浦の沖に深く霧が立ち込めているのを見て、自分を思って嘆き悲しんでいる妻を無性に恋しく思って詠んだ歌2首(巻15-3515、3516) が歌碑に刻んである。
昭和53年、地元の歌人で仮名書道家の松田弘江氏の揮毫による。