瀬戸内編>安芸津

遣新羅使の足跡を訪ねて

            広島県安芸津町   2004/11/26                                   

風 早 の 浦

『万葉集』巻15には遣新羅使人等が別れを悲しんで贈答した歌や 海路にあって心に感じた思いを詠んだ歌などが載せられている。
一行は現在の広島県三原市辺りの長井の浦に仮泊して3首の歌を残している。(巻15-3612~3614)  
次の停泊地風早の浦は豊田郡安芸津町の三津湾の静かな入り江にある。
三津湾には大芝島、小芝島、藍之島、竜王島などが点在し風光明媚なところである。

わが故に 妹嘆くらし 風早の 浦の沖辺に 霧たなびけり   (巻15-3615)

沖つ風 いたく吹きせば 我妹子が 嘆きの霧に 飽かましものを   (巻15ー3616)

天平8年(736) 遣新羅使の一行は難波の港を出て瀬戸内海を西へ西へと進み、その折々に抒情歌を多く残している。

この歌の作者は一行の誰とも分らないが、作者の妻が別れに際して夫に送った歌に対する相聞といえる。 妻の歌は

君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ   (巻15-3580)

(あなたがこれから遠くへ旅立つ途中の海辺の宿で もし霧が立ったなら、あなたを恋して嘆いている私の吐息と思ってください)

風早の浦の沖に深く霧が立ち込めているのを見て、自分を思って嘆き悲しんでいる妻を無性に恋しく思って詠んだ歌2首(巻15-3515、3516) が歌碑に刻んである。
 昭和53年、地元の歌人で仮名書道家の松田弘江氏の揮毫による。