瀬戸内編>沙弥島
沙弥島に万葉歌人 柿本人麻呂の足跡を訪ねて
巻2ー220の題詞にある行き倒れの死人を傷む人麻呂の鎮魂歌、狭岑島は現在の香川県坂出市沙弥島である。
岡山県側から美しい景色を観ながら瀬戸大橋を車で渡り坂出北ICで降り大橋の下を少し戻ると沙弥島に着く。
かつては坂出沖に浮かぶ周囲2キロ余りの小島だったが昭和40年代に埋め立てられ地続きになっている。
瀬戸内海の青、浮かぶ島々の緑、島のすぐ東を南北に架かる優美な瀬戸大橋ともすっかりマッチして違和感なくとけ込んでいる。 2007/7/27
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展望台から望むナカンダの浜
波が打ち寄せる白砂の渚は真夏になれば海水浴客で賑わいを見せる。人麻呂が何処から何処へ旅をしていたのかは不明だけれど
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オソゴエの浜
写真右のオソゴエの浜の湾曲した先端に続く岩場に人麻呂達も風をよけ非難し、そこに行き倒れの死人を発見したと思われる。
讃岐の狭岑の島にして、石の中の死人を見て、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌 巻② 220~222
玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月を共に 足り行かむ 神の御面と 継ぎ来る 中の湊ゆ
舟浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波さわく いさなとり 海を恐み 行く舟の 梶引き折りて
をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑の島の 荒磯面に 廬りて見れば 波の音 しげき浜辺を しきたへの 枕になして 荒床に ころ臥す君が
家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは
短歌
妻もあらば 摘みて食げまし 沙弥の山 野の上のうはぎ 過ぎにけらしや
沖つ波 来寄する荒磯を しきたへの 枕とまきて 寝せる君かも
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ナカンダ浜の万葉歌碑
「讃岐の国はお国柄か見ても見飽きない」と人麻呂は先ず土地を讃美してから、荒涼とした磯に打ち上げられた屍に言及している。多分目を覆いたくなるような惨状に違いないが、浜辺を枕に横たわって寝ているように美化して描いている。家が分ったなら行って知らせてやりたい、夫の死を知らない妻が家できっと待っているだろうと長歌を結んでいる。
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行路死人歌」
反歌はその妻がそばに居たならヨメナを摘んで食べさせたに違いないと死者に対する慈しみがあふれる。最後は強風に荒磯と化した浜辺を枕に永遠の眠りについている人の鎮魂となっている。
それにしても何と美しく描かれた「行路死人歌」だろうか。 眼前のナカンダ浜の美しい光景とともに忘れられない万葉の歌がまたひとつ増えました。 -
通称人麻呂岩
左の柿本人麻呂碑は高さ3メートル余りの堂々とした石碑で 作家の中河与一氏が人麻呂の「石中死人歌」の心を後世に伝えるため昭和11年にこの記念碑を建てた。揮毫は歌人の川田順氏
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柿本人麻呂碑
オソゴエ浜の湾曲した先端は瀬戸大橋を望む荒々しい岩場になっていて通称人麻呂岩がドーンと海岸線まで突き出ている。多分人麻呂の長歌にある「荒磯面」はこの辺りで 屍が打ち上げられていた所とも思われる。
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愛恋無限文学碑
地元坂出市出身の中河与一氏の小説「愛恋無限」は万葉集の柿本人麻呂の「石の中に死れる人を視てつくる歌」に通うものがあり、これを記念して昭和52年に建立された。
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愛恋無限文学碑