東海・関東編

東国の万葉集

東国と言うと関東以北と思われますが万葉の時代は近畿以東は東国でした。
太平洋岸の愛知(尾張、三河)、静岡(遠江、駿河、伊豆)を東海地方、それ以外を関東地方と分類いたしました。
東国は大和の官人たちにとっては未開の地でしたが温暖な気候と大和では見ることの出来ない広大な海、
雪に覆われた高い山々、 異郷に対する一種の憧れもあったのか叙情的な明るい歌も多い。
一方、土着の人々に歌われた東歌、防人の歌のような素朴で哀調のある生活歌も多く収められている。

駿河国の富士山に対して常陸国の筑波山が当時の信仰の対象になっていたようです。 
『筑波国風土記』にはその対比が記されている。
「古老の言うには、昔 御祖の神が国々を巡っていたところ日暮れになり、駿河の富士の神に一夜の宿を頼んだところ、
今夜は収穫感謝の祭の物忌みに篭っていることを理由に断わってしまう。 
そこで御祖の神は筑波岳に登って宿を頼んだところ新粟の祭ですが祖神をお泊めしないわけにはゆかないと迎え入れた。
関東平野の真中にそびえる筑波山が祖霊の居ます山として人々が国見し飲食を楽しむ山になったのに対して富士の山は
一年中雪に覆われ民が登るに難渋するようになった・・・」とあります
おもしろいことに万葉集中、富士を詠んだ歌は13首に対して、筑波山を詠んだ歌は25首。
当時の筑波信仰の強さを物語る。

万葉集巻14には国別に東歌、防人の歌が収められている。

  多摩川にさらす手作り さらさらに なにそこの児のここだかなしき
 武蔵国の歌 (巻14-3373)