東海・関東編>筑波山
二 並 ぶ 筑 波 の 山
筑波山はふたつの峰があり西を男体山(870m)、東を女体山(876m)といい、中腹にある筑波山神社の奥宮として
イザナギ、イザナミの神を祀っている
万葉集には赴任していた高橋虫麻呂が検税使大伴卿(名前は明らかでない)を筑波山に案内した時詠んだ歌が載せられている。 (巻9ー1753~1754)
衣手 常陸の国 二並ぶ 筑波の山を 見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かきなげ 木の根取り うそぶき登り 峰の上を 君に見すれば
男の神も 許し給い 女の神も 幸ひ給ひて 時となく 雲居雨降る 筑波嶺を 清に照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示し給へば
うれしみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うちなびく 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ
展望台と土産物屋が並ぶにぎやかなスポットに万葉の面影を見ることは出来ない
高橋虫麻呂歌集に筑波山における歌垣の様子を詠んだ長歌がある。
筑波嶺に登りて嬥歌会(かがひ)をする日に作る歌
鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上(あども)に 率ひて をとめをとこの
行き集い かがふかがひに 人妻に 我も交はらむ 我が妻に 人も言問へ
この山を うしはく神の 昔より 禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ 今日のみは めぐしもな見そ
事を咎むな (巻9-1759)
筑波山の裳羽服津の辺に男女が誘い合って集まり歌を掛け合わせて性の解放に
及ぶ事をこの日ばかりは筑波の神が昔から認めてきた行事だ・・・と歌っている。
(歌垣、またかがひという)
この行事が行なわれた裳羽服津は現在不明だが、候補地のひとつに馬の背に
あたるこの御幸ヶ原があげられている。(違うという説も多いが・・・)
それにしても今日では許されない事が神の名のもとに堂々と行われていたことに
驚く反面 当時の万葉人の生活を垣間見る思いがした。
またこの風習は遠く中国の少数民族に起源を発し、日本でも大和の海柘榴市、
摂津国の歌垣山、肥前国の杵島山などでも行われていたことが文献に見える。
筑 波 山 神 社
二つの峰をご神体とする筑波山神社の拝殿は山の中腹にあり、
山頂に鎮座するイザナギノミコト(男神)、イザナミノミコト(女神)を遥拝する場所である
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随身門 (市指定文化財)
江戸時代は仁王門だったが火災に会い再建、三間一戸の八脚楼門
現在は倭建命と豊木入日子命、二人の武人像が神域を守っている。 -
拝殿
この立派な拝殿は明治8年に完成、昭和2年に改修されている。周囲には県指定文化財の日枝神社、春日神社があざやかな色彩を今に伝えている。
万葉歌碑 (筑波山神社境内)
たぢひのまひとくにひと
筑波岳に登りて丹比真人国人の作る歌 短歌を并せたり
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万葉歌碑 (筑波山神社境内)
鶏(とり)が鳴く 東(あずま)の国に 高山は さはにあれども 二神(ふたかみ)の 貴き山の 並み立ちの 見が欲しき山と 神代より 人の言ひ継ぎ 国見する
筑波の山を 冬ごもり 時じき時と 見ずて行かば まして恋(こほ)しみ 雪消(ゆきげ)する 山道すらを なづみぞ我が来る (巻3-382) -
反歌
筑波嶺を 外のみ見つつ ありかねて 雪消の道を なづみ来るかも (巻3-383)
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防人の歌
橘の 下吹く風の 香ぐはしき
筑波の山を 恋ひずあらめかも (巻20-4371) -
常陸国の歌(東歌)
筑波嶺に 雪かも降らる 否をかも
かなしき子ろが 布干さるかも (巻14-3351)
(筑波の山に雪が降ったのだろうか・・・いや、ちがう!
愛しいあの娘が布を干したのだろうか・・・) -
飯 名 神 社(いいなじんじゃ)
筑波山の山裾にある神社で地元ではは「稲野の弁天さま」と呼ばれている。 祭神は保食神(うけもちにかみ)だが、ご神体は本殿の背後にある高さ4mの巨大な陰石とされる。
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常陸国の歌(東歌)
「否をかも」 イナは拒否、ヲは承諾の応答詞
この歌碑は「否をかも」を「稲岡も」と変えてある。
古そう な歌碑だったが地名を当てているので
歌碑の置かれる場所としては少し疑問も (^^?) -
平沢官衙遺跡(ひらさわかんがいせき)
昭和50年(1975)の調査で奈良・平安時代の常陸国筑波郡の役所跡と判明し、昭和55年(1980)国の史跡に指定された。本格的調査の結果、大型の
高床式倉庫と考えられる建物が並び、それらを大きな溝が囲んでいたことが確認された。倉庫はその頃の税である稲や麻布など納めた郡役所の正倉跡
と考えられる。 -
平沢官衙遺跡(ひらさわかんがいせき)
つくば市は貴重な文化財を後世に伝え活用するため、平成9年から6年をかけ高床式倉庫郡3棟を復元した。
(左から板倉、萱葺き屋根の土壁双倉、校倉) 倉庫の後方に筑波山を望む広大な敷地に立つと限りなく広い関東平野が見渡せる -
関東平野の夕暮れ
筑波嶺を詠んだ万葉集の東歌と防人の歌から
筑波嶺の 新桑繭(にひぐはまよ)の 衣はあれど 君が御衣(みけ)し あやに着欲(きほ)しも 東歌 巻14-3350
筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも 愛しけ妹そ 昼も愛しけ 防人の歌 巻20-4369 -
百人一首 より
筑波山といえば先ず思い起こされるのが「ガマの油売り」の口上と子供の頃、意味も分らず暗記していた『百人一首』の この歌
つくばねの 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる 陽成院 -
男女川
筑波山の峰に源を発した男女川(みなのがわ) 浅いせせらぎも流れていくうちに水がつもりつもっていつしか底知れぬ深い淵となる。「あなたに寄せる私の思いも同じです」 という恋の歌
歌碑は筑波山神社へ行くまでの坂道の途中、筑波山の秀麗な姿を背景に建っている
HP作成にあたり下記の資料を参考にさせていただきました
万葉集 桜井満訳注 旺文社
万葉の歌 人と風土 (関東南部編)
万葉の旅(中) 犬養孝著
郷土の先達とゆく 筑波山 (結ブックス)