九州編

遠の朝廷と筑紫歌檀

大陸文化の門戸として九州は古くから開けていたことが数々の文献や遺跡によっても明らかである。
大宰府が「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれ中央に代って九州(筑紫)全体を総括するようになり文化、外交、の拠点となったことも万葉集の故地が他の地方に比べて圧倒的に多いことなどとともに理解できる。
万葉時代も第一期から第三期にかけて多くの歌が残されている。 ことに第三期には筑紫歌壇の中心をなす大宰帥大伴旅人、筑前守山上憶良、また二人の周辺の人々によって花が咲いた時代と言えましょう。

  わが苑に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも                        大伴旅人 (巻5-822)  春されば まづ咲く宿の 梅の花 独り見つつや 春日暮さむ                        山上憶良 (巻5-818)

また、周防灘で難船した遣新羅使一行が漂着した豊前国から壱岐、対馬までの道すがら詠われた歌は初めての体験が風土との絡み合い、郷愁、望郷の念のにじみ出るすばらしい作品となって万葉故地を旅するものを楽しませてくれる。

韓亭 能許の浦波 たたぬ日は あれども家に 恋ひぬ日はなし 
                                   遣新羅使人 (巻15-3670)