遠の朝廷と筑紫歌檀
大陸文化の門戸として九州は古くから開けていたことが数々の文献や遺跡によっても明らかである。
大宰府が「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれ中央に代って九州(筑紫)全体を総括するようになり文化、外交、の拠点となったことも万葉集の故地が他の地方に比べて圧倒的に多いことなどとともに理解できる。
万葉時代も第一期から第三期にかけて多くの歌が残されている。 ことに第三期には筑紫歌壇の中心をなす大宰帥大伴旅人、筑前守山上憶良、また二人の周辺の人々によって花が咲いた時代と言えましょう。