九州編>香春(かわら)
香春町は福岡県東部に位置し、四方緑の山並みに囲まれた自然豊かな景観を誇る町です
古代、大和から大宰府に向かう官道が通る駅家として栄えたので赴任中の都の官人の歌
などが万葉集に合計7首残されている 2000年9月8日
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香春岳
石炭産業華やかな頃、炭鉱節に歌われた「ひと山、ふた山、み山越え~ヨイヨイ」がこの香春岳で 右から一の岳、二の岳、三の岳を指す
一の岳はセメント原料として中腹まで削り取られ、山の姿が大きく変わっているが万葉の時代にはきっと秀麗な景観を誇っていたことでしょう
作家五木寛之は『青春の門』の冒頭に「香春岳は異様な山である」と書いている -
河内王の墓(中央)と香春岳
河内王は持統3年(689) 筑紫太宰帥として赴任した皇族。この地で亡くなったという。
天武天皇の皇子、長皇子の子供の川内王との説もある -
河内王の墓(勾金陵)
香春岳を背に盛り土に巨大な石を載せてしずかに田圃のみのりを見下ろしている。
明治27年、宮内庁指定の一級陵墓参考地とされた -
手持女王の挽歌
河内王を豊前の国の鏡山に葬る時に手持女王が作った歌三首 (万葉集③-417~419)
手持女王(たもちのおおきみ)は河内王の妻か? 伝未詳
一首目の歌碑(右)は河内王の墓に向かって語りかけるように建っている -
手持女王の挽歌
王の 親魂逢へや 豊国の 鏡の山を 宮と定むる
(巻3-417)
(懐かしいあなたのみ心によほどかなったのでしょうかあの遠い豊国の鏡の山を墓所と定められたのは) -
手持女王の挽歌
石戸破る 手力もがも 手弱き 女にしあれば 術のしらなく (巻3-419)
(み墓の石の戸を破りあなたを呼び戻したいけれど
か弱い女の私にはその術がありません) -
手持女王の挽歌
手持女王は万葉集中、ここだけにあらわれる人物。
「石戸」は「岩戸」、「手力」は「手力男の神」と結びつき天岩屋戸神話を連想させる。 -
手持女王の挽歌
豊国の 鏡の山の 石戸立て 隠りにけらし 待てど来まさず (巻3-418)
(豊国の鏡山のお墓に石戸を立てて隠ってしまわれたらしい いくらお待ちしても もう帰っては来られない) -
鏡山神社
国道201号を折れると大きな銅の鳥居が目に付く。
まっすぐに進むと正面にこんもりとした丘があり、ここに
鏡山神社が祀られている。 祭神は神功皇后。この丘が鏡山と言われるが確かではない -
鏡山神社
神社の横にこの地にちなんだ万葉歌碑がある
按作村主益人(くらつくりのすぐりますひと)の歌
「村主」(すぐり)とあるので渡来系の人、都より豊前に赴いていた下級官吏か? 伝未詳 -
鏡山神社の歌碑
梓弓 引き豊国の 鏡山 見ず久ならば 恋しけむかも (巻3-311)
(毎日見ている豊国の鏡山も久しく見ないでいたら恋しくなることでしょう) -
香春に関係のある万葉の歌
抜気大首(ぬきけのおほびと)、筑紫に任ぜらるる時に豊前国の娘子紐児(ひものこ)を娶きて作る歌3首
(巻⑨-1767~1769)
作者については不詳、大宰府の役人になり途中香春の駅家に宿ったのか 香春の郡家の役人になったのかは不明 -
香春に関係のある万葉の歌
豊国の 香春は我家 紐の児に いつがり居れば 香春は我家 (巻9-1767)
(豊国の香春は我家である 愛する紐児といつも繋がっていると心が和む 香春は我家のような気がする)
紐児(ひものこ)は土地の遊行女婦か?伝未詳 -
香春に関係のある万葉の歌
石上 布留の早稲田の 穂にはいでず 心のうちに 恋ふるこの頃 (巻9-1768)
(あなたへの思いは顔には出さないが心のうちで恋しく思っているこの頃です)
「石上」という大和の地名を用いるところに作者に都人的な趣がある -
香春に関係のある万葉の歌
斯くのみし 恋ひし渡れば たまきはる 命もわれは 惜しけくもなし (巻9-1769)
(こんなにも恋しく思い続けています これほど苦しい想いをするなら私は命も惜しいことはない)