九州編>野坂の浦 水島
肥後国へ長田王の足跡を追って
長田王、筑紫に遣はされて、水島に渡る時の歌2首
聞きしごと まこと尊く 奇しくも 神さびをるか これの水島 (巻3-245)
芦北の 野坂の浦ゆ 舟出して 水島に行かむ 波立つなゆめ (巻3-246)
肥後国(熊本県)には万葉故地が少ない。八代海に面した日奈久温泉近くの水島と野坂の浦に
長田王の足跡を尋ねた。この2首の歌は景行天皇の不思議な伝説のある水島へ野坂の浦から渡ろうと
思うので波よたたないでくれと船旅の安全を祈願した歌なので順序が逆でないかとの説もある。
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野坂の浦
野坂の浦は八代海に面した海岸で参考地が二ヶ所ある。ひとつは葦北郡芦北町佐敷の海岸、もう一方は同郡田浦町田浦の説がある。田浦は日奈久の南西海岸で水島まで15キロ、佐敷からは25キロある。佐敷説が有力なのか万葉歌碑は県立自然公園の佐敷港御番所の鼻に海を背に建っている。
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野坂の浦
あしきたの 野坂の浦ゆ 舟出して 水島に 行かむ 波立つなゆめ 長田王
昭和28年8月建立、揮毫は熊本県出身の歌人 森本治吉の筆になる -
御 立 岬 (田浦町)
野坂の浦の参考地 葦北郡田浦町の御立岬 海に面した広大な土地が公園となり、温泉センター、海水浴場、キャンプ場、スポーツセンター等々の
総合施設があり 家族連れで楽しめるワンダーランドとなっている。 八代海の対岸の天草諸島に沈む夕日は絶景と言われている。 -
御 立 岬 (田浦町)
今、万葉故地の面影は無いが 「御立岬」は昔、景行天皇が熊襲征伐の帰路 田浦の入江に休憩後、出発(御立ち)されたとの伝説がある。
長田王はこの伝説を知って野坂の浦から水島に渡ろうと思ったのでは? それなら野坂の浦はこの御立岬であっても不思議ではないと思う。 -
球磨川にかかる金剛橋と水島(右端)
日奈久温泉より車で10分程で球磨川の河口に着く。水島は球磨川左岸の堤防沿いにあり、思ったより小さな島だったが趣がありよい形をしている
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水島
東西50m、南北30m、高さ11mの石灰岩のこの島は 『日本書紀』によれば 「夏4月に、景行天皇が芦北の小島に留まって食事をされた時、島の中に水が無く天神地祇に祈ったところ、たちまち崖のほとりから水が湧き出したのでそれを汲んで献上した。そこで島を名付けて水嶋といった。
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島の傍らに建つ景行天皇巡幸の碑
泉は今も崖に残っている」(景行紀18年) かつては島の2ヶ所から湧水が出ていたが昭和30年ごろから出なくなったとのこと。島の東側に龍神社が祀られている。
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万葉歌碑
水島より約100メートル下流の堤防の傍に建っている。 高さ2.4m、幅2.7m、厚さ1.1mの自然石に万葉仮名で彫られている。「万葉の里」として地元住民、歌人らが尽力して1990年に建立
聞きしごと まこと尊く 奇しくも 神さびをるか これの水島
如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋 長田王 (巻3-245)
【かねて評判に聞いていた通り、本当に尊く不可思議にも神々しい ようすをしていることだ。この水島は・・・】 -
日奈久温泉
八代から水俣へ向う国道3号線沿いにある県下でも最も古い温泉街で知る人ぞ知る湯の町 日奈久港で取れた新鮮な魚や郷土料理のもてなしが心を和ませる。 種田山頭火もお気に入りの温泉 憩いの広場のからくり時計の下に建っている句碑
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山頭火
温泉はよい ほんとうによい ここは山よし 海よし 出来ることなら滞在したいのだが・・
いや 一生動きたくないのだが・・・
山頭火