山陰編>人麻呂終焉地
人麻呂の終焉地
柿本人麻呂の臨終の地、鴨山を訪ねて
柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて臨死(みまか)らむとする時、自ら傷みて作る歌一首
鴨山の 岩根し枕(ま)ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ (巻②-223)
鴨山の所在は諸説あり未だはっきりしないが 斎藤茂吉は五回実地調査をして島根県邑智(おち)郡邑智町の
湯抱(ゆがかえ)温泉西北1キロの鴨山(高さ360メートル)を人麻呂の終焉の地と定め、記念歌碑を建立
現在鴨山公園が出来、鴨山記念館が建てられ斎藤茂吉の人麻呂に寄せるいちづな思いを偲ぶことができる
-
三瓶山
国立公園三瓶山は男三瓶、女三瓶、子三瓶、孫三瓶からなる。リゾート地、温泉に囲まれハイキングにキャンプにまたスキーにと自然を満喫できる 今回の旅の目的はこの近くの万葉故地、浮布池(うきぬのいけ)とまぼろしの「鴨山」を訪ねることです。
-
三瓶山
東の原展望台より中国山脈を望む
-
斎藤茂吉鴨山記念館
湯抱温泉は三瓶山麓を縫う女良谷(めらだに)川に沿う谷あいの温泉で現在 数軒の温泉宿がある。
医学博士でアララギの歌人でもあった斎藤茂吉は20年にも及ぶ研究と実地調査とにより、湯抱の「鴨山」を人麻呂の終焉の地と定めた -
斎藤茂吉の歌碑
夢のごとき 「鴨山」恋ひて われは来ぬ
誰も見しらぬ その「鴨山」を
鴨山記念館の前に建っている
-
鴨山記念館(平成3年5月開館)
島根県大田市より国道375号線で1時間弱
やっと着いた私達に案内の女性の方が親切に説明してくださいました -
記念館
記念館には20年にも及ぶ「鴨山」関係の資料をはじめ博士の遺品、遺墨、著書、写真、新聞記事などが展示され博士の偉業と足跡を偲ぶことができる。ちょっとしたお土産も販売しています
-
鴨山
記念館から徒歩で10分ほどのところに鴨山公園があり 正面に鴨山を望む高台に立つことができた
人麻呂の臨終歌
鴨山の 磐根し枕ける 吾をかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ (巻②-223)
(この鴨山の岩を枕にして横たわっている私のことをそうとは知らず妻は待ち焦がれていることであろう) -
鴨山公園
斎藤茂吉の歌碑
人麿が ついのいのちを 終はりたる 鴨山をしも 此処と定めむ
茂吉は20年来の執念にも似た人麻呂の今際の地をここ湯抱の鴨山に定めた。
この歌碑は昭和28年4月29日に序幕された -
浮布池 (うきぬのいけ)
三瓶山の西麓、池の原にある周囲3キロほどの山湖
男三瓶と子三瓶が水面に影を落とす -
浮布池
君がため 浮沼の池の 菱採むと わが染めし袖 濡れにけるかも
柿本人麻呂歌集 (巻⑦-1249)
(あなたのために菱の実を摘もうとして、自ら染めた着物の袖を濡らしてしまいました)
浮沼(うきぬ)の池=浮布池 地名とされるが本来は泥沼の意 -
静の窟 (しづのいわや)
大田市静間の魚津海岸に万葉故地 静の窟がある。洞窟の入り口はふたつ 持ち前の好奇心と此処まで来たのだからという思いに中は真っ暗、目が慣れてくると正面に歌碑がおぼろに見えてきた。現在は立ち入り禁止となっている。
-
万葉歌碑
大汝 少彦名の いましけむ 志都の岩屋は 幾代経ぬらむ
生石村主真人(おいしのすぐりまひと) 巻③-355
(大国主命と少彦名命(すくなひこなのみこと)が住んでいたという志都の岩屋はいったいどれほどの時代を経たことであろう)
大正4年1月、出雲大社宮司千家尊福氏の揮毫で建立された古い歌碑である -
静の窟
洞窟の中から見る海の色はまぶしく格別な美しさがある。ほとんど人が来ないので別世界にいるような気がして心も和む。洞窟の大きさは測る場所によって異なるが高さ13m、幅18m、奥行38mとかなり大きい。ふたつの入り口から差し込む光が洞窟に陰影を作って一段と神秘的であり、歌の心に触れるひと時でした。
-
静の巌 ふたつの入り口
中央にお前立ちのように新しい歌碑が建っていました。三日間の晴天に恵まれ「石見万葉の旅」は終わりました。便利な旅の出来る私たちには万葉人の苦しさは推し量ることは出来ませんが 少しでも歌の心に触れたいと願いこれからも万葉故地を廻りたいと思っています。