山陰編>石見の海
石見の海
柿本人麻呂の石見相聞歌(巻②―131~137)に詠まれている万葉故地をたずねて
人麻呂が晩年、赴任した石見の国庁は現在のJR下府(しもこう)駅付近、「国庁址」の碑が建っている
国庁址付近から海岸に出て北東へ13キロの地に都野津の町があり さらに北東に6キロ、江の川付近
までの海岸線は、途中唐鐘の千畳敷、赤鼻の岬と波子の北の大崎鼻の他にはまったく浦もなく潟もない
単調な海岸である。大崎鼻から都野津を経て江の川河口までの10キロに及ぶ弓なりの海岸線は
人麻呂の「石見の海」を今に伝える 貴重な万葉故地だといえます
-
和木海岸・真島
都野津の1キロ北 海岸に突き出した小さな岩山、この上に登ると東は江の川方面、西は大崎鼻までの石見の海を一望できる
-
和木真島
五月の太陽を浴びた白砂にハマヒルガオが咲き 季節的には人麻呂の歌の「石見の海」とはかけ離れていましたがこの真島の海の澄んだ美しさは忘れる事が出来ません
-
和木真島
和木真島から東方を望むこの果てしないような海岸線が江の川の河口まで続く
-
和木真島
和木真島から西方を望む遠景の大崎鼻までゆるやかな海岸線が続くまさに人麻呂の歌そのもの、浦もなし、潟もない荒涼とした日本海の砂浜が続いている
-
真島より望む高角山
真島の南方、現在の島星山(高さ470m)が人麻呂の歌に詠われている高角山(たかつのやま)といわれている
-
島星山
一名、星高山とも呼ばれている。 貞観16年(874)に流星があり隕石が落ちたことから星の名がついたといわれる万葉の高角山頂近くに草木を刈り取り星が象ってある
-
人丸神社
高角山の中腹近く、昭和28年5月小さな祠が建立された拝殿の左前に元九州大学教授 高木市之助氏揮毫の歌碑がある
-
人丸神社
石見のや 高角山の 木のまより 我が振る袖を 妹みつらむか
(巻②-132)
(石見の国のこの高角山の木の間から、わたしが振る袖を妻は見てくれたであろうか)
この妻は人麻呂が石見国の国司として赴任して後
現地妻となった依羅娘子(よさみのいらつめ)である -
石見の海
-
大崎鼻
巻②―135の長歌に詠まれる「辛の崎]は何処?
沢潟久孝博士(故人)は波子の海から突き出た大崎鼻を推定した ここからの眺望も大変美しい -
万葉歌碑
つのさそふ 石見の海の 言さへく 辛の崎なる
海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生ふる
荒磯(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる・・・・・・
大崎鼻を辛の崎と推定された沢潟(おもたか)博士の揮毫 -
大崎鼻からの眺望
真島、江の川方面を望む 右手は高角山 -
畳が浦・千畳敷
斎藤茂吉は石見の国庁址から近いこの唐鐘の畳が浦 千畳敷一帯の岬を「辛の崎」と推定した
この地帯は波によって浸食された海触崖と呼ばれる
切り立った崖と千畳敷と呼ばれる波食棚からなっている
(洞窟より猫島を望む) -
赤鼻付近
斎藤茂吉が辛の崎ではないかとした畳が浦海岸の
赤鼻付近 海触崖や断層が多く見られる -
日本海の日没
国民宿舎・千畳苑の庭にて(2002・5・25)