北陸編>氷見
万葉のふるさと 氷見
阿尾の浦
英遠(あを)の浦に行きし日に作る歌一首 (巻18-4093)
阿尾の浦に 寄する白波 いや増しに 立ち重(し)き寄せ来(く) 東風(あゆ)をいたみかも 大伴家持
氷見は富山湾に面しているので夏に東からの風がまともに吹き付けることが多い。これを土地の人は今でも「アイ」と呼ぶ。
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阿尾の浦
阿尾の浦は富山湾に面した海岸で、中世菊池氏の阿尾城跡が東に突出している。 この展望台から富山湾を一望できる。
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阿尾の浦
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阿尾の浦
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阿尾の浦
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十二町潟
大伴家持ら都の官人が好んで舟遊びし多くの歌を詠んだ布勢の水海、当時は富山湾松田江浜のすぐ西から、北は現在の氷見市街近く南は高岡市の二上山の麓まで広がっていたと思われる広大な瑚水でした。
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十二町潟
現在はすっかり干拓が進み細長く続く十二町潟にその昔を偲ぶことが出来ます。近辺は水郷公園として整備され、二上山を遠望しながら咲き始めたオニバスを観賞することができました。
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十二町潟
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十二町潟
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十二町潟 大伴家持 歌碑
布勢の海の 沖つ白波 あり通ひ いや年のはに 見つつしのはむ大伴家持 (巻17-3992)
万葉人が舟遊びした布勢の水海
富山湾松田江浜の西一帯 由縁ある湖水は干拓続きの今 細長い十二町潟を残すのみ
その昔 広々とした湖水に 二上山の優美な姿が影を落とす
単身赴任の大宮人は 家恋しさ 妻恋しさに 大和の二上山の情景を重ねた -
布勢の円山にある 筆型歌碑
家持を祀る布勢の円山 白藤の大木が絡む藤波神社 その高台に登ると 今、緑一色の水田は 遥か1200年前の水海 浮かべられた舟 酒宴のにぎわい 大和をしのび詠み交わす歌の数々 遠く都を離れた官人の 鄙のつれづれが偲ばれる 日本人の心のふるさと万葉の故
地々姿を消していくのが惜しまれる -
布勢の円山
十二町潟から南へ1.5kmのところに布勢の円山がある。周囲約300m、高さ約20メートルのこんもりとした小高い山で、昔は湖の中の島だったと思われる。木立の間を通して見る水田に在りし日の布勢の水海を重ねることが出来ました。
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布勢の円山
急な階段を登ると山上に布勢神社が祀られてあり、小さなお社ですが妻飾りに鯱が彫られているのが珍しい。
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藤波神社
下田子地区に鎮座する田子浦藤波神社は石段に覆いかぶさるように白藤の古木が絡み毎年5月中頃美しい花を咲かすそうです。
家持らは布勢の水海を遊覧した時、田子浦に船泊りし、藤の花を望み見て思い思い歌を詠んでいる。(巻19-4199~4201) -
藤波神社
藤波の 影なす海の 底深み 沈(しづ)く石をも 玉とぞわが見る 大伴家持
境内には明治36年8月に建てられた万葉歌碑があるが正面の「大伴家持卿歌碑」は読み取れるものの、側面の歌は風化して読み取りにくい。 -
藤波神社
藤奈美能 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曽吾見流 (巻19-4199)
揮毫者は東宮(大正天皇)侍講従四位本居豊頴(もとおりとよかい)、 本居宣長の曾孫にあたる国学者